中秋の名月にうさぎがなぜ見える?月うさの由来と餅つきの理由は?

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中秋の名月

子供の頃十五夜のお月見をしていると

「月にはうさぎさんが住んでいて
餅つきしているんだよ。」

とお父さんに聞かされて
あらためてお月さまを見ると

ほんとうにうさぎさんが
餅つきしている影が見えて

子供心にワクワクしていたことを
覚えています。

「月うさぎ」が本当にいるとは
さすがに今は思っていませんが…

月に「月うさぎ」の
影が映るのはなぜなの?

「月うさぎ」の話はどこから来たの?
なぜ餅ついているかな?

そんな疑問が浮かんできませんか?

そこで今日は

・中秋の名月の中にうさぎが見えるのはなぜ?
・中秋の名月のうさぎの由来は?
・お月見のときなぜうさぎが餅つきをしてるの?

について書いてみたいと思います。

この記事が
あなたのお役に立てれば幸いです。

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中秋の名月の中にうさぎが見えるのはなぜ?

月に映るうさぎ「月うさぎ」は
なぜ観えているのでしょうか?

つきの白黒模様が
うさぎが餅つきしているように
見えているのですが

この白黒模様の正体は
月の表面の高低差でできているんです。

白く見えるところは
高い場所の部分で

黒く見えるところは
「月の海」と言われる低い部分です。

小さな惑星が月に落下してできた
と言われています。

この高低差があるために
白黒の模様が見えているんです。

その模様が日本から見える角度で
「うさぎが餅つきをしている」
ように観えているんですね。

日本では「餅をつくうさぎ」の他にも

薪を背負い本を読む「二宮金次郎」
に見えるとも言われています。

他の国でも見る角度が違うことから
いろんな物に見えているようです。

主なところでは

中国:薬草を挽くうさぎ、ガマガエル、カニ
モンゴル:犬
インドネシア:編み物をしている女の人
ベトナム:木の下で休む男の人
カナダ:バケツを運ぶ少女
ヨーロッパ北部:本を読む少女
ヨーロッパ南部:カニ
ヨーロッパ東部:髪の長い女性、人の横顔
ドイツ:薪を運ぶ男性
ロシア
アラビア:吠えるライオン
アメリカ南部:ワニ
南米:ロバ

などがあります。

他にもさまざまな見方をされている
月の白黒模様。

あなたは月の模様の中に何を見ますか?

中秋の名月のうさぎの由来は?

月にはうさぎがいる

という話は日本だけではなく
中国やアジアの各地に伝承されています。

由来はインドの仏教説話『ジャータカ』
にあるようです。

『ジャータカ』が日本に伝わり
『今昔物語』に収録され
ひろく親しまれるようになりました。

その話とは

「今昔物語 天竺部 巻第五 第十三」
三獣、菩薩の道を修行し、兎が身を焼く語

です。

三獣、菩薩の道を修行し、兎が身を焼く語

それは今昔物語に書かれた遠い遠い昔のお話。

今は昔、天竺において、兎・狐・猿の三匹の獣が菩薩の道を修行していました。

三匹はいつも仲良く暮らしていましたが、「自分たちは前世で犯した罪・障が重くて、いやしい獣の身に生まれた。 これは前世で生物をあわれまず、財物を惜しんで人に与えないなどの罪が深かったために、地獄に堕ちて苦しみを受け、それでもなお報いが足りず、残りの報いとしてこのような身に生まれたのだ」といつも話し合っていたました。

「されば、今生こそ我が身を捨てて善業を重ねよう」

三匹はそのように考え自分のことは顧みず、ひたすら他の者のために尽くそうと心がけるようになりました。

帝釈天は彼等の行いをご覧になり、「彼等は獣の身でありながら、珍しく殊勝な心がけである。
人間の身に生まれた者でも、生き物を殺し、人の財を奪い、父母を殺し、兄弟を仇敵のように思い、笑顔の裏に悪心を隠し、 思慕の姿に怒りの心を秘めているものだ」と感心しました。

「ましてこのような獣は、まことの信心が深いとは思いがたい」

ひとつ試してみよう――そうお思った帝釈天は、たちまち老翁に姿を変え、力なく、疲れてよぼよぼの姿となって、三匹の獣のいるところに現れました。

「わしは年老い疲れ果ててどうにもならぬ。お前たち三匹でわしを養って下され。
わしには子供もなく、家も貧しくて食物もない。聞けば、お前たち三匹は情深いとのことだ」

三匹の獣は、これを聞くと、
「それこそ私たちの本来の志です。さっそく養ってあげましょう」と言いました。

猿は木に登って、栗・柿・梨などを取って来て好きな物を食べさせました。 狐は墓小屋に行って、人が供えた餅やまぜ飯、鮑や鰹などさまざまの魚類をくすねて来ては、おなか一杯に食べさせました。

こうして数日が過ぎ、老人は、「お前たち二匹は実に慈悲深い。これはもう菩薩といってよい」と誉めました。

これを開いた兎は一所懸命になって、東西南北を求め歩きましたが、なに一つ求め得たものはありませんでした。

兎は考えました。
「自分はあの老人を養おうと思って野山を歩いたが、野山は恐ろしくてならない。人間に殺されたり、獣に喰われたりして、不本意にも空しく命を失ってしまうのが関の山だ。いっそのこと今この身を捨てて、あの老人に食べてもらって、永久に生死輪廻の世界を離脱することにしよう」

そう考えた兎は、老人のところに行って言いました。

「私はこれから出かけて、おいしい物を求めて参ります。木を拾って火をたいて待っていて下さい」

そこで、猿は木を拾い、狐は火を取って来てたきつけて「ひょっとすると兎は何かおいしいご馳走を持って来るかもしれない」と思って待っていると、なんと兎は手ぶらで帰って来ました。

猿と狐はそれを見て、「お前は何を持って来たというのか。思っていたとおりだ。うそをついて人をだまし、木を拾わせ、火をたかせて、それでお前があたたまろうというのだろう。憎らしい」と兎を責め立てました。

すると、兎は、「私には食物を求めて来る力がありません。ですから、どうぞ私の身体を焼いて食べて下さい」と言うなり、火の中に飛び込んで焼け死んでしまいました。

それを見ていた帝釈天はもとの姿に戻り、この兎が火の中に飛び込んだ姿を月の中に移し、あまねく一切の衆生に見せるために、月の中にとどめ置かれました。

「されば、月の表面に雲のようなものがあるのは、この兎が火に焼けた煙である。また、月の中に兎がいるというのは、この兎の姿である。誰も皆、月を見るたびに、この兎のことを思い浮べるがよい。」

「今昔物語 天竺部 巻第五 第十三」

三獣、菩薩の道を修行し、兎が身を焼く語

出典 http://p.booklog.jp/book/3163/page/76579

ちょっと悲しい話ですね。

自分の身を犠牲にしてまでも
飢えて疲れたおじいさんを
助けようとしたうさぎの

やさしさや慈悲の心を
月を見るたびに思い出して

慈悲深く生きるようにとの
教えなんでしょうね。

私的には後味悪いお話ですが…

帝釈天(仏様)はそこまでして
うさぎの気持ちを
確かめる必要があったのかな?

同じような話がメキシコ民話にも見られ

人間として生きていた太陽の神様が
長い旅で疲れと飢えで
死にそうになっていた時

近くで草を食べていたうさぎが
自分自身を食物としてささげた

という話です。

この話を知ってからの私は

これまでは月を観るたびに
陽気に餅つきを楽しんでると思っていた

「月うさぎ」

への想いが変わってしまいました。

少しだけ自分を見つめ直す時間が
増えたように思います。

これからはお月見をする時には
『今昔物語』の話を
頭の片隅にでも思い出してみて下さいね。


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お月見のときなぜうさぎが餅つきをしてるの?

月に映るうさぎの横に見える影が
臼にみえることから

月うさぎは餅つきをしていると
言われていますが…

もう一つの疑問

「なぜ月うさぎは餅つきをしてるの?」
については

「月うさぎ」の話の続編があるようです。

「月に移り住んだうさぎは
帝釈天(仏様)が成りすましていた
疲れ果て飢えたおじいさんのために

餅をついて
食べさせてあげようとしている。」

どこまでも優しいうさぎさんなんですね。

もう一つの説は

優しいうさぎがお腹がすかないように
帝釈天(仏様)が餅つきの仕事を
与えたというものです。

日本では
月うさぎが「餅つきをしている」
と言われていますが

もともとの中国では
「薬草を挽いている」と言われています。

中国では
「月を観る催し」
「満月」
ことを「望月(もちづき)」と言っていましたが
日本に伝わるときに

望月(もちづき)⇒餅つき

かけられとも言われています。

日本でのお月見は
「収穫祭」「豊穣祭」として行われていた
ことをふまえると

「餅つき」は豊作への感謝の気持ちの
表れだったのかもしれませんね。

中秋の名月にうさぎがなぜ見える?月うさの由来と餅つきの理由は? まとめ

いかがでしたでしょうか?

この記事

・中秋の名月の中にうさぎが見えるのはなぜ?
・中秋の名月のうさぎの由来は?
・お月見のときなぜうさぎが餅つきをしてるの?

はあなたのお役に立てたでしょうか?

子供の頃から慣れ親しんでいた
月うさぎの由来に
ちょっとびっくりしませんでしたか?

秋のすんだ空気の中に浮かぶ
十五夜を観るときに

「今生こそ我が身を捨てて善業を重ねよう」
としたうさぎさんや
自然に感謝して生きてきたご先祖様方に
想いを馳せてみてはどうでしょうか?

心が豊かに洗われるかもしれませんね。

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